聞く相手のことを考える(2)
わかり易さはどこまで進んだか?
http://akiratakeda2001.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-6b6f.html
(7月29日追記 8:00)
映画作品を考えるときは、「無駄なものが映らない」事が大きな普遍的意味を持つようです。
レーニン、トロツキー、そして、セルゲイ・エイゼンシュテイン(モンタージュ理論)
に至るまでの「歴史的黄金期」へ帰るとはどういうことかの問題を取り扱わねばならないと言う意味を中野@貴州さんは、問いているのでしょう。
具体的には、日本共産党論をひも解くゾルゲ事件についても、「マルクスへ帰れ」「レーニンへ帰れ」「廣松渉へ帰れ」「花崎 皋平へ帰れ」「田中正三へ帰れ」と言っても、
「人権?それ何?食べられるの?おいしいの?」という問い直しがすぐ返ってくるような、高尚なものではありません。
(http://chikyuza.net/archives/64850 こちらからの引用です)
この問題に悩んでいる前近代主義的都民状況の貧困格差戦争法状況についての「啓蒙」と言う「市民革命」回帰としての絶望をどうするのかの問題に苛まれているのは何故かの問題です。
岩上安身ツイキャスで、わかり易い、小池百合子候補のスタンス、反自民小泉的ぶっ壊すの二度目の喜劇を広報しながらも辿り着けない「情報弱者」「哲学の貧困」を問題としており、
ちきゅう座的にも
「非核都市東京」を求める鳥越俊太郎を。 「核武装の選択肢」と「原発稼働」を容認する小池百合子はゴメンだ。
http://chikyuza.net/archives/65046
「人権・平和・憲法を守る」志のある者は、鳥越俊太郎候補支持に総結集を
http://chikyuza.net/archives/65067
植草一秀「知られざる真実」
選挙に勝つ極意は「小異を残して大同につく」こと
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/07/post-78af.html
この様に、わかり易く広報してくれているのですが、「無党派層」都民にしても、近代主義的歴史的到達が理解に入っておらず、菅原文太さんが、演じて啓蒙してくれている『ビルマの竪琴』それがあちらこちらにあるのをどうするのかの問題が横たわっている訳です。
しかしながら、不毛な時間の中で
最終日です。残念ながら小池百合子都知事誕生が近づいている様です。
2016/7/29 23:50 情報元 日本経済新聞 電子版
聞く相手のことを考える
http://chikyuza.net/archives/64999
では、法学部、憲法論に狭めて問いています。
(日共的生活が第一的逆のわかり易さ、抽象論問題があります。)
ここでは、誤解を生む、固有名詞、レーニンも張一兵、中国権力共産党も影を潜めています。
中国民衆、学徒論の中で限定している訳です。
僕としてわかり易いモデルは、エヴァンゲリオンの庵野監督ではないが、怪獣対決があります。そのモデルから考えるなら、
江戸思想対決としての「田中優子VS<子安宣邦:大阪大学名誉教授>」がまず、ちきゅう座的には、醍醐味があって面白い。
更に、中野@貴州さんの省察から九条対決としては、
「<子安宣邦:大阪大学名誉教授>VS柄谷行人」となるでしょう。
http://chikyuza.net/archives/64984
《憲法の第9条はすでに日本人の無意識に根差す「文化」なのだから、安倍らによるこの改正の企図は挫折せざるをえないという、きわめて耳障りな寝言が朝日新聞(6月14日)の一面全部を埋めた。この質の悪い柄谷行人の寝言をさらに増幅して伝える朝日新聞とは一体何なのか。この新聞とおさらばすべき時期が来たようだ。》
この批判には、批判的な論陣を僕は選択します。(その心は、後ほど。)
この様に、敷延していくと、無党派層都民としてもこのパノラマ的歴史批判に誰も入ってこれない。
まさに、更なる誤解を恐れずに語るなら、ヘーゲル左派全集を敢行したる廣松渉の論理の限界に立ち戻る事にもなりかねない。
『レーニンへ帰れ』を問題にしたくとも、瀕死の貧困にある身障者や介護問題、賃労働以上の労働に苛まれている「家族人類学」「育児」「介護」『恍惚の人』問題を理解しいないと言う切実に、寄り添って解題できていないと言う展開をわからないし、この体系化問題もフタタに、『存在と時間』に戻る、急進的襲撃問題に戻ると言う都知事選病理の看破問題として、時事史観にあると言う事ですね。
http://chikyuza.net/archives/65036
手短に、また、更新してみました。
(あ、ごめんなさい。以下の文章は早とちりでした。自分で自分の文章を引用しようとしてタグがないと勘違いしたようです。しかし、価値のあるものにこそお金を落としたいのです。論理的脱皮を是非、お願いします。足元から資本論実践可能なのにしない未熟をとわねばなりません。更に、分りずらいかな??言わんとしている事は簡単明瞭な逆説なのですが…)
今、気が付きましたが、武田明タグなくなっている?ブルマンタグ、中野@貴州タグないのだから逆平等でしょうか?
実際、ちきゅう座会費払わず無料使用の僕ですが、本来は、商品論、価値論として明確にして、論理的整合としての規約を明らかにして、出版事業部門、ブラックただ投稿を回避していただきたいと言う意図を持って投稿しているのです。
カンパ頼り、良心頼り(性善説・イデア論逆戻り、経済学批判、唯物論以下の状況としての)以上の共産主義経済論VS市場経済を実践的段階として足元から開始しましょうよ!
全ては、9月に真剣勝負開始ですよ。
日々是革命2ツイッター
« 『レーニンへ帰れ』から遡る・左翼権威主義と文化人類学〔近代主義と市民革命以上の時事史観的粗描〕 | トップページ | わかり易さどこまで進んだか? »
« 『レーニンへ帰れ』から遡る・左翼権威主義と文化人類学〔近代主義と市民革命以上の時事史観的粗描〕 | トップページ | わかり易さどこまで進んだか? »
コメント