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2016年8月17日 (水)

家族人類学体系化と家族主義の歴史(人間が生きることに封建制社会とは何か?)

今回語りたいとするのも三つである。

貧困格差戦争法のみが、金融支配的搾取、アメリカ奴隷とし化しているアベ政治の正体である。

国民的?アジア的?芸能ニュース、SMAP解散の陰に隠されたる、改憲勢力3分の2支配、全体主義の足音、日米地位協定問題、止められない原発利権構造問題、無責任支配問題に加担せず、真の良心、抵抗の拠点とする事、ちきゅう座の技術論的成熟とは何であるのか?この問いが、常に、付きまとっているのではないだろうか?

「死んでも死にきれない」体現としての個人主義的生態学から家族主義社会の問いがこれである。

1.技術論

2.家族人類学体系序説

3.近代主義的「法治」家族主義

TPPと緊急事態条項成立ならこの国は終わる

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-7981.html

戦没者追悼式では近隣諸国犠牲者も追悼すべし

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-a7a0.html

「しかし、アジア諸国への加害と反省を述べなかった。


アジア諸国への加害と反省に触れないのは4年連続のことだ。」

天皇陛下が、反省を述べられているのと対比されたるやや革新系と称される新聞にも同じ論調があった様に感じる。

家族主義雑感

http://chikyuza.net/archives/65528

「家族の愛情の強さは、何も現中国の専売特許では無く、世の東西を問わずに普遍的に存在しているもので、現今の法治国家における法令でも、家族の愛情は、何もそれを無視している訳ではありません。」

「このような過去の遺物である片言隻句を有難がることこそ、現中国が未だ人治にある、と思われる事由です。」

これで思い至るのは、やはり、トッドの家族人類学でしょう。

そして、現在、立憲主義の危機が叫ばれていながらも「人治」と「法治」の本当の意味での対比がされていない様に感じられていてなりません。

閉ざされた正義論―トッド理論の暗点について

http://chikyuza.net/archives/62869

エマニュエル・トッドWikipedia

そもそも封建社会とは、人類の歴史の長い間を支配してきた中で、「悪」しかなかったのかのの問いではないかと考えねばならない点がある様に思われます。

繰り返し描かれている大河ドラマ、戦国時代の終焉から徳川時代へ。

「真田丸」もそれに属しています。

ついでに、「トト姉ちゃん」敗戦から復興する日本の姿を描いているが、その中で、先日描かれていた「報道特集」その当時報道されなかった孤児や浮浪児の死体の山、復興の陰にも悲惨が隠れていたのであり、「家族人類学」的にも「恍惚の人」から現代の二週間に一件起こっていると言う介護殺人、更に、 #ヒトラーの思想 相模原市身障者施設襲撃事件の家族人類学的悲劇、秋葉原通り魔事件の加害者の弟の自殺などなど、日本にも村八分的家族論、連携性は、社会、国家体制の雛型であり、最初の共同体であると言う構造から、民族主義的差別、ヘイトに至るまで「わかり易さ・図式化」「聞く相手のことを考える(3)」となる発露を備えているのではないかと思うのだ。

「人治」か「法治」か。

カント的には、「人倫」か「法の支配」かであるのだが、近代主義的限界、法治、民主主義、権力、政党支配の中で、キッピス氏の述べる前回の『国家と革命』講談の中にあった様に、資本主義的限界がある事が伺えるのであり、

「道徳・倫理」と「法の支配」の問題意識は、ヘーゲルの「法の哲学」の問題意識宿題のままでしょう。

1.技術論

日々是革命ツイキャス始めました。

http://twitcasting.tv/akiratakeda2001/movie/297513646

きっと、YouTubeでも簡単に出来るのかも知れませんが、技術的に辿り着いていませんでした。Wikipediaも時々、まだ項目がない、書いてください的なメッセージに出くわすが、重い腰が上がらず、技術的習得の時間ももったいないと手を出さずに来たのですが、ツイキャスは、まだやり易そうなので、YouTube的に使用開始しました。

死の問題、「最後まで人間」から家族主義と言う国家主義、特攻隊的雛型問題をどうするのかを考えたとする立場です。

常にマルクス主義の問題意識とは、「近代の超克」としてあったわけですが、それは、歴史的問題でありながらも、個人主義的断片性の問題でもあり、近代主義の本質とは、立憲主義、個人主義、自由主義としての断片化である本質から、全体史、『存在と時間』「死に至る病」の問題、逆実存の問題、不条理を受け入れる問題ではないかとまずは、抑えながらその心を説明していく、「わかり易さ」「聞く相手のことを考える」に努めたいと言う訳である。

2.家族人類学体系序説

世界は、貧困と飢餓がまだまだ満ち溢れている。イスラム国問題の深刻さ、更に、中国内政問題としてのイデオロギー家族主義への指摘であり、日本も例外ではない、貧困格差戦争法、全体主義であり、真の意味での立憲主義、「法治」の普遍性に到達していないのではないかの問題意識、上記に上げた植草ブログの2016年度的危機の在り方である。

3.近代主義的「法治」家族主義

トッドが、預言者として登場してから、家族人類学なる西洋アプローチと東洋的要素、儒教とマルクス主義の問題を早急に体系化しつつ、理論から実践へそれを仕上げたいのだが、まだまだこの危機も論理も簡単な様に見えて、問題意識そのものが共有されていないアジア的対話不足をあちらこちらに感じている今日この頃と言う訳である。

急がば回れ。

しかし、生きている時間も「死に至る病」人生の充実も良心、誠実、真実も一瞬でしかなく、満たされない意味を考え続けているわけなのです。

キッピスキャス「民主共和制について」

http://twitcasting.tv/kpssippik/movie/298335472

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