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2016年9月 4日 (日)

キッピス原理主義+植草一秀外伝)②

人生は、長い様で短く儚い。

(そんな事はとうの昔に知っていたつもりであっても頭で考えるのと実際の違いに実感する時がやがてそれぞれにやって来るのかも知れない。)

将棋をやるにしても、カイジと言う漫画作品の様に命がけのポーカーゲームをするとしても本来、無駄な動きは出来ないはずである故に、この一文も現在にあてはめられたものを刷新したいが為に書きだしたもので内ちきゅう座的論理展開を目指すとともに、一般広報としての論理的道筋を具体的に整理したいが為に、自問する真理に近づくのを目的としている事は、繰り返し前提として添えて置くまでもない事だろう。

二重の意味で、論理的とするのは、ツイッター、ツイキャス(個人放送局)的に僕の文章は、読みづらさ、一般向けではないものが含まれている評談を受けてもいるからであるが、ちきゅう座的問題意識をも加味しながら「短い言葉で言い当てる」「適切さ」ウェイトを尽くし、その後で、中野@貴州氏の言う「聞く相手のことを考える」(※関連リンク集参照)

立ち戻る原形を抽出するのを第一としているから、「道なき未知」としての全体像から各個具体論、唯物論の本道を常に問題としながら肉付けていきたいとしているに過ぎないと言う訳である。

安易なつなぎをしたいのではなく、理論と実践、具体化としての問いとして、

「プラトンとアリストテレスはこの問いを息つくひまもないほど研究したのだが」(世界の名著『存在と時間』P66)を尽くしたい、

自己欺瞞ではない哲理として問い出したい、その為の二重の論理学的道筋を問題としたいと言う意味である。

〔1〕ちきゅう座的『人間臨終図巻』は、如何にして可能か?

具体的商品価値としての商品と価値を刻む可能性であり、

むのたけじ逝くー「おれなんか70より80と、ますます頭良くなってきた」<澤藤統一郎:弁護士>(※関連リンク集参照)

101歳の最後の言葉、参議院選挙、改憲勢力3分の2聴き果てる言葉は、2年前の菅原文太「やれやれまた戦争で終わるのか」に通じる、永六輔氏、大橋巨泉氏の人生の終焉と自己を結び付けないわけにはいかない。それぞれの遺言があるからであり、戦争法への危機が共感としてあったからであろう。

〔2〕法の支配か、法による支配か

立憲主義と『国家と革命』的資本主義論を問題としながら立法府の問題、権力と違憲解釈の中で、支配されたる政治の問題は、民主主義の中にある事は、既に、これまでに考察していたところであり、植草一秀ブログの引用においても補完してきたのがこれまでの展開であったわけであるのだが、その矛盾は、随所に現れている事の指摘と対策を語らねば先に進まないと言う段に来ている。

3日は、

宇都宮けんじが麦焼酎を5杯飲んでから語るトークライブ

http://chikyuza.net/archives/65974

標的の村上映会

http://revolutio.exblog.jp/23445751/

こちらが重なっていた訳であり、僕は、後者を選択し、われらが、キッピス(字は店長)氏は、前者へ赴こうとしていた訳であるが、ミナセン的要素に民進党的ポピュリズムを感じ躊躇ったと言う展開となっていた具体的行動批判がそこにもあった訳であるが、少し分析しながら展開を必要としているだろう。

ミナセンで検索を入れると紅林進氏の

「ミナセン(みんなで選挙)」市民選対勝手連シンポジウム

http://chikyuza.net/archives/59382

植草一秀 オールジャパンが冒頭にヒットしてくるわけである。

宇都宮けんじ氏の長年の都政研究がある意味結び、小池百合子都知事への意見書、「築地市場移転」延期、改革の一役を担った段階でもあるのだが、

キッピス原理主義の展開としての民進党代表選批判、ミナセン批判、ポピュリズム批判、市民連合、勝手連的山のものとも海のものともない限界である故の改憲勢力3分の2の危機であり、アベ政治マリオ6割支持としての独裁、独占的日本の政治状況に対して、

前回、吟味したる植草一秀外伝

オールジャパン社民共生党樹立で安倍政権打倒-(植草一秀氏)

http://www.asyura2.com/16/senkyo211/msg/594.html

こちらにある様に、社民共生党オールジャパンでは、少数派であり続けるのであり、大衆運動に結びつかない、一強多弱として、選挙民主的改革には全く戦略を示せないと言う事ではないだろうか?

インテリや文化人の範囲(原理主義先鋭範囲)では、民主主義の担い手である教育弱者への中野@貴州氏の言う「聞く相手のことを考える」(※関連リンク集参照)には、到底辿り着けない矛盾があると言うだけであるそれをどうするべきか?

これは、アカデミックなちきゅう座的問題点でもあり、民衆的にも人民的にも社会主義的矛盾として繰り返し指摘されて来たものと考えなくてはいかない。

人は、性善説的に公正であったり、純粋であったりしない社会が、資本主義であり、常に、「蜘蛛の糸」状態であり、性悪説原理によって支配されているそれをどうするのか?

その方法論、戦略論を具体的に問題にする段になっていると言う訳であろうからだ。

〔3〕法と人との戦い~スラップ訴訟

3日は、もう一つのドラマが中央線沿線にあったのであり、『標的の村』は、スラップ訴訟の問題として表現されていた。

それは、抑圧される少数民族の問題の様に、かつての帝国主義戦争、植民地、ベトナム戦争にも、ひょっとしたなら蝦夷地支配、アイヌ民族間にもあった様な関係が、平和と思われている現代の日本にもあるのだろうか?

そう思わされる「高江」問題であり、「可視化」が進み連日、IWJ岩上安身ツイキャス、その他、個別個人放送局ツイキャスによって、視覚化されている世界でもあるわけであるのだが、法は、現代の王朝としての権力でもあり続けている故に、「法VS人」又は、「権力VS生活」としての透視を必要とされているのでり、ソフィスト、詭弁家の多数派支配としてあるとしたなら法規は、人倫としての効力を持たず、「悪法も法なり」ソクラテスの世界が現出するそれをどうするのか?

この問題にぶつかっている訳である。

岩上安身対談にて、(矢部宏治『日米地位協定入門』

『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』は現在10万部です。)

紹介は、あるのだが、一般的には、広がっておらず、それが、大衆化であるのか?原理主義的であるべきかの対立が常にある様に感じるわけである。

『標的の村』的映画作品の「手法」によって、沖縄日米地位協定問題としての広報が必要であり、それは、まさに、TPP読本としての手軽な100円テキストと元農林水産大臣の山田正彦氏が新著を刊行された。

『アメリカも批准できないTPP協定の内容は、こうだった!』が推されているのだ。

全国民必読書によりTPP衝撃の真実を知る

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-1e99.html

それでもまだまだ少数派であり、民主主義的に大衆、人民、貧困者に広がっていない意味を、『野性の思考』文化人類学、トッド『家族人類学』的に、生きている人間の理解力の範囲に照らし合わせながら中野@貴州氏の言う「聞く相手のことを考える」(※関連リンク集参照)にまで敷延して伝えなくてはならないそれをどうするのか?

この問いである。

ここまでの前提において、今回も3つの項目を主題としたいわけである。

1.技術論、ツイッターと日の丸ネトウヨ的限界の本質とは?

2.収奪か搾取か。具体的商品と価値の展開

3.ちきゅう座の9月の対話、弁証法の具体的敷延と言う実践と理論。

商品化体系としての展開についての共同出版体系は、如何にして可能か?

※関連リンク集

http://revolutio.exblog.jp/23465077/

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